てぃーだブログ › 覆面母さん、今日も行く! › 2008年08月

セクシー萌え!

2008年08月31日

Posted by 茶トラン at 00:51Comments(0)TrackBack(0)好きな歌
年がバレますね。

わたしは、男女関係無く、セクシーな人が大好き。


自分にないものをとことん求めるタイプです。


例えば、山口百恵さん、引退したときってまだたったの21か22歳だったんですよね。
子どもだったのではっきり覚えてないんですけど・・・。


一番好きだった歌を見ていて、この若さでなんてセクシーなんだろうって改めて惚れ惚れしてしまいました。

ロックンロールウィドウなんてもう、腰が抜けるくらいセクシーだよねぇ?
フェロモンがだだ漏れていますってば!
ハイヒールで踏まれたいという男も多いんじゃないかしら?(笑)


っつかあたしだったら踏まれたい(すみません。エロオヤジなんで)

しかし、こんなにセクシーで大人っぽいのにこの衣装って・・・・
この時代は、みんなこういう格好させられて、文句も言えなかったんだろうなぁ・・・(悲)



妄想が炸裂して止まらない今夜(笑)

人を不愉快にさせることに命かけてるのか!と言われたっけ(遠い目・・・)

ここ、てぃーだだと放送禁止用語にひっかかっちゃうかな~?

単なるフィクションとして笑っていただけると幸いです。

「笑っちゃう男の話」


今日は久しぶりに友人とメッセで話して、思い出したことをひとつ。

※私にとっては笑い話なのですが、えげつない表現がありますので、不快になる方がいらっしゃる可能性もあるかと思いますので一応お知らせしときます。

数年前に少し付き合ってた年下のA君(仮名)。
彼は、若くして結婚した妻子ある男性だった。

友達期間が長かったので、知り合ってからは8年くらいになる。
セックスしてた(付き合ってた?)期間は10ヶ月くらい。
あることをきっかけに、その後、友達としても付き合えなくなってしまった。

ある日私とセックスし終わったあと唐突に言い出した。

「ね、あんたって子どもいる女って感じがしないね。雰囲気とか身体とかも・・・」

「はぁ~?なにいきなり」

「いや、ウチのヨメがさ、年下なのに随分おばはんくさいっていうかおっかさん!って感じでさ、雰囲気も体つきもすべてがもうね、なんか、女じゃないんだよね・・。なんでいつまでもそんなふうでいられるの?」

「・・産後体型が変わるのは女として普通だし、母親なんだからおっかさんで当然じゃないの?あたしだって子どもの前ではただのふつーのおっかさんだよ」

「いや俺、ふたり目んとき立会いしたのね。ひとり目んときあいつ里帰りしてて実家の近くで産んだからさ、仕事終わって駆けつけたときもう産まれちゃってて、そのことずーーっと責められたから。一生言われ続けるの嫌だから、もうふたり目は覚悟決めて立会いしたんだよ」

「へー偉いじゃん?いいことだと思うよ。女がひとりで勝手に妊娠したわけじゃないからねぇ」

「これで役目果たしたし、育児もそれなりにするし、もうねちねち責められないだろうと思ってたのにさぁ・・・。立会いしたら女として見れなくなっちゃってさぁだめになっちゃったんだよ・・。俺・・・・」

「だめになったって何が?」

「いやだから、ヨメ相手に出来なくなっちゃったの。ってか勃たなくなっちゃったんだよ~(泣き顔)」

「はぁ・・・・でも今ギンギンに勃ってたじゃん?今は大丈夫なんでしょ?」

「え?勃つわけないじゃん!だってだって、まんこびろーーんてノビて鬼みたいな顔していきんで、血出るし、まんこ裂けちゃったし、うんこもおしっこも出ちゃって・・・。すごいなーって子どもの母親としては尊敬するけど、もう女としてなんか見られなくなっちゃうよ、当然でしょ?」

「・・・・そりゃ出産て痛いもんだし、ある意味命がけだし、なりふりかまってらんないのが普通だよ?」

「それだけじゃなくてね、子どもにおっぱいあげると乳首もびろーんて伸びておっきくなるんだよー!見たことないだろ?あのグロさを・・・。人間とは思えないよー!乳首舐めるのも吐き気すんのに、勃つわけないじゃん!それを責められたって俺のせいじゃないよね?どう思う?」




「どう思うってあんた・・・私だって子どもふたり産んでんだよ。しっこもうんこも出たさ、あんたのヨメと同じく鬼みたいな顔していきんで、まんこもびりびりに裂けたよ、縫ったよ。大出血してスプラッタだったよ。ふたりの子ども母乳で育てたから乳首だって伸びておっきくなったよ。そんなん普通だし」


「・・・・・そ・・そうなの・・・・?」


「いきみ過ぎて産後痔になったし、あんたがかわいいかわいいってさっきまでちんちん勃てて舐めまくってたまんこびりびり裂いて子ども産んだよ。あんただってさぁ母親のうんこやしっこにまみれて、母親のまんこびりびり破って産まれてきたんだよ?子ども産まれるってさ、きれいごとじゃねぇんだよ。いい年してふたりも子ども作った男がさぁ、女のまんこにどんだけファンタジー持ってんの?ハッキリ言ってイタイよ、それ」


「そんなんじゃないけど・・・。でも、あんたは感度も良くて、年上なのに身体もキレイで可愛くて、とても同じ子ども産んだ女とは思えないね・・って言いたかったんだよ・・。外見にこだわるのかよ!って言われるかもしんないけどさ、男ってデリケートなんだよ・・・」


「あんたさぁ、デリケートとか言ってるけど自分のヨメ以外の女だと勃つんじゃん?自分のヨメ以外の女はうんこも屁もしないとか思ってんじゃないよね、まさかとは思うけど。それって女は人間じゃないって言ってんのと同じだからね」


「そんな・・・・身もフタもないようなこと吐き捨てるように言わなくてもいいじゃん。少なくともおまえ(※)は俺と一緒にいるときクソしたり屁こいたりしないじゃん。女ってそれが普通でしょ?」


「私はトイレが変わるとうんこ出ないだけ。家だったら誰がいようといまいと好きなときに好きなだけうんこも屁もするさ。自然現象ガマンしてまで男と一緒にいたいと思わないから」


「やめろよ~そのうんことかまんことか・・・下品な言葉・・・・ぶつぶつ・・・」


「あら~ボクちゃんのファンタジー壊しちゃって悪かったわね?悪いけど私こういう女なんで。女に対してどんな幻想持っててもいいけど、それを私に押し付けるのはやめてね、そういうの一番醒めるから」


「・・・・・・・・なんでそんなふうに言われなきゃいけないんだ?俺はいつもおまえが誘ってきたときは、プライベートの趣味の時間削ってでも会う時間作ってるのに・・・」


「あ?それに感謝しないといけないわけ?そりゃどーも。でも家族といる時間や趣味の時間まで犠牲にして会ってくれなんて一度も言った事ないと思うけど?」


「わーかったよ!俺がヨメの話したから怒ったんだろ?ごめんごめん!もう言わないからさぁそんな冷たい顔しないで機嫌直してよ~!ね・・」


こいつは・・・全然わかってねーなと思った。
長年言いたいことを言い合う友達(知り合い)だったから、お互いのことはよく知っているつもりでいた、というのが盲点だったようだ。私も彼も、人の話なんて聞いちゃいねぇ人間という意味では同類だったが・・・。
この日を境に彼という人間に対する興味も全くなくなってしまったのは言うまでも無い。


結局このA君とは、これっきりになった。
しばらく遠まわしな意味不明な電話やメールが続いたが、放置したら数ヶ月で止んだ。
私は節操のない尻軽女だが、異性にもてない既婚男性と関係を持つのはやめようと思った。

男だからグチを言ってはいけないということが言いたかったのではなく、仮にも浮気相手の私に自分の妻のことをグチグチ晒すなんて、面白くもなんともないからやめようよ、といいたかったのだが、彼は私が嫉妬深いのを隠していたので怖くなった、みたいなことを後で言ってたと聞いた。
もう興味のなくなった男にどう思われたっていいけど、なんで自分の魅力だけで勝負しないんだろうか?と思うと残念だ。

配偶者や恋人以外の異性に興味を持ってしまうのは割りとあることだろう。
興味を持ったら、自分に興味を持ってもらうことが大切だ。その後、自分に興味を持ち続けてもらうための努力が必要になる。配偶者や恋人を引き合いに出すのではなく、自分にしかない魅力で勝負できないのは何故か。
引き合いに出した相手と比べて『君のほうが素晴らしい』なんて褒め方されて喜ぶ女が果たしているのだろうか?
いるかもしれないけど、私はそういうセコイのは好きじゃない。

それにしても、いい年して女に対して妙なファンタジー持ってる男って多いなぁ・・・。
だいたい人間の性器なんてグロテスクなもんだし、ふだん隠されてるモノだから興奮するっていうだけのもの。有名なAV男優が言ってたけど、大して差なんてないモノだって。
元々は、繁殖の為にだけ必要な機能が備わっていればそれでヨシとされてきた部分だ。
それを、締りが悪いだの小さいだの濡れないだの早漏だの繁殖に不要なことを求めてグダグダ言うから男女の関係もややこしくめんどくさいものになるのだ。


どんなかわいいきれいな女だって、女優だってアイドルだって、子ども産むときは鬼みたいな顔して、まんこビリビリ裂けちゃうんだよ~ってどうして性教育で教えないのか不思議でしょうがない。
出産の現実、産前産後の身体の変化もきちんと教え、その上で結婚なり子作りなりしないと、いざ結婚して子作りして相手をいたわれって言われたっていたわり方が解らないからできない。
男女の肉体の差、男女で求めるものが違うホルモンという力の不思議な作用、そしてそのまったく違うお互いを知るためのコミュニケーションの手段としてセックスがある、ということを知っていないと妙な妄想やファンタジーに走りやすい、と私は思う。
いい年してファンタジー持ってんのも恥ずかしいってことに気付く事も無い人間の多い事。





どんなに偉そうにして人を見下してる人間だって、みんな同じように女のびりびりに裂けたまんこから産まれてきたんですよ~!わかってますかぁ~?





本当に性教育が必要な世代は、今子育てをしている世代だろう。
根底から叩きなおさないと、性犯罪も、セックスレスも減らないよな、納得。




どうです?笑っていただけましたか?
笑えない?
あ、そう・・・・_| ̄|○







1年半ほど前にどっかに書いてた備忘録のようなもの。

++++++++++++以下引用+++++++++++++

うちの子どもたちは、ふたりそれぞれタネが違う。
もっと解りやすく言うと、(生物学上の)父親が違う。

長女の父親だった人とは、16年くらいまえに別れたけど、一応戸籍上婚姻関係にあったし、初めての子のタネを頂いたということもあって、人に話すときは、彼のことを『元夫』と呼ぶ。

それから数年しか長女の父親だった人とは交流をしなかったし、養育費も一切もらわなかったので、それほど憎みあって別れたわけでもないが、私の記憶の中にほとんどいない。

私は、付き合いのある人間でもすぐに存在を忘れてしまう、目の前にいる人間の事だけ、そのときだけしか認識できない、というクセがあるようだ。普通だと思ってたけど、違う場合もあるらしい。
なので、元夫にそっくりな子どもの顔を毎日見ていても、その存在をすっかり忘れてしまっている。

次女の父親とは、戸籍上婚姻関係を持たず、出産したのだが、今だに次女の父親のことを便宜上だけとはいえ、『元夫』と呼ぶことにものすごく抵抗がある。
いくら戸籍上婚姻関係がなかったとしても、子を作り、何年か生活をともにし、事実上夫婦として周囲の人間に認められていたのだから、次女の父親のことも『元夫・前夫』と呼んでもおかしくないだろうと思うのだけど、どうしても私にとって次女の父親のことを『元夫』という表現ができない。
子どものタネを頂いた『次女の父親』としか表現できないのだ。

別れた人間なのだから、どう呼んでもいいのだろうけど、なんだか小さいことに私はこだわってしまう。

うすぼんやりと理由らしきものを考えてみる。

私は、ふたりの『元夫』たちのことを、『子どもの父親である』という以外の存在価値をまったくといっていいほど認められなかった。私自身周りの大人や関係を持った異性たちから、セックス奴隷としての価値以外はない、と言われそういう扱いしか受けたことがなかったので、お互い様だとまったく普通のことだと思っていた。
私にとって手に入れることのかなわなかった『家族』とは、私を筆頭に、ふたりの子どもたちだけ、であると思っていて、何年経っても元夫たちのことを家族として認識することはできなかった。
生活上&人生の上で私のパートナーとして、異性としてさえも認識しておらず、子どもがうまれたとたん彼等との性行為はもう非常に苦痛なことでしかなく、私は、子どもの父親としての役割を1割程度果たしてくれれば、私以外の女性とどんな関係を持っても構わない、と思っていて、よくそのことで不思議がられたり責められたりした。
(ま、実際次女の父親は私以外の女ともセックスを楽しむタイプの男だったので、私にとってとても楽な相手ではあったが、嫉妬しないとキレるというめんどくさい男でもあった)

たとえ何年か一緒に暮らして子どもを作る関係であったとしても、私にとって【自分以外の誰か】が自分にとって【特別な人間】になることはなかった。

私は、肉体関係を持った相手も、そうでない相手もまったく区別ができないので、次々に色んな男と関係を持ってしまってそのことがもとで、大変ややこしいもめごとを起こす、ということを繰り返しているけど、どんなに大変なことになっても、『私の身体は私だけのもの、私の気持ちも私だけのもの』という考えは、徹底して変えられないというのが根底にある(と思われる)ため、どうしてもこの良くないと思われるくせは変えられない。

私にとってふたりの元夫とは、ひとりでは不可能な【妊娠】に必要なツールでしかなく、その望みを果たしたらもう不要になったツールとして破棄すべきもの、と脳みそが認識してしまうようだ。
(客観的に見てみるとちょっとどうなのそれとも思うが、嘘偽りない気持ちなので不快に感じる方がもしいらしたらすんません)

今、関係を持っている異性に対しても、友だちに対してでも、わけへだてなくなんでもかんでも受け入れているようで、あんたは実は誰のことも受け入れない、自分の領域には絶対入らせないんだよな、と知り合いに言われた。なるほどな~と思った。

もう13年ほど前のことだけど、若い頃から子宮と卵巣に病気を持っていた私は、産後少しでも痛みなどの辛さから逃れる為、手術を決心した。その頃、次女の父親とは一緒に暮らしていなかったが、私は自分で手術同意書を書いて、ベビーシッターを手配して(当時長女は5歳、次女は0歳5ヶ月)子どもたちの世話を頼み、ひとりで病院へ行き、手術を受け、10日後何事もなかったようにひとりで帰宅した。

病院側は、身内が誰も付き添わない私のことを手術中も心配していたが(入院費を踏み倒して逃げるかも、という心配だと思う)私は、子ども達以外に身内は一切いませんと本気でそう思っていたのでそう言った。

次女の父親は、私が子ども達を連れて消えたと勘違いして気が狂ったように探したらしいが、私はこの人に子どもたちの世話を頼むということや、付き添ってもらうなどということを思いつくことすらできなかったのだ。

手術後、無理やり退院したため、傷跡が裂けたり感染症を起こしたりしたが、そのときも傷にサランラップを巻いてテープで止め、処方された抗生物質を飲んで子ども達を風呂に入れ、食事をさせ、普段どおり家事をして、それ以外の時間はじっとうずくまって傷が癒えるのを待った。
幼い頃からどんなにひどい怪我をしても、ひたすらじっとうずくまって傷が癒えるのを待つしかないということを知っていたので、それが普通だと思っていたが、どうしてそんな大変な事になっているときまで誰にも何も言わないんだ!と、次女の父親にも当時仲の良かった友人にもすごく怒られた記憶がある。

私はただ、誰かがそばにいても傷の治りが早くなるわけでもないし、他人がそばにいて気を使うくらいならひとりでうずくまっているほうが何百倍もラクなのでそうしただけなのだが・・。

私の目の前には。分厚い防弾ガラスのようなものが常にあって、どんなにたくさんセックスをしても、たとえ毎日会って甘い言葉を吐こうとも、そのガラスの内側に相手を入れることは絶対ない。
この分厚いガラスのようなもの、の距離を心地よく考えてくれる男、またはあまり気にしない人とはつかず離れず関係は続くけど、ガラスのこっち側に入りたがったり無理やり侵入してきて独占欲などで縛ろうとする男とは、どんなに付き合いが長かろうと、その関係をズバっと断ち切る。その際、周りに多大な迷惑をかけることがあるが、非常にややこしいうっとおしいことになっても、手段は選ばず、自分の意志を貫き通す、という頑固さが私にはある。

どうでもいいけど、次女の父親は、別れて何年も経つ私のことを
『うちの女~』と人に説明するのだけど、これが死ぬほどいやなのだ。この呼び方は、次女の父親の口癖みたいなもので、私の前に婚姻関係を持っていた彼の元妻のこともそう言っていたので、深い意味はないらしいが、私の事だけはそう呼ばないで欲しいと心底思う。

男の独占欲とは恐ろしいものだということを幼い頃から嫌と言うほど知っている私は、別れたあとも私物扱いされているようで、鳥肌が立ち、吐き気がするほど嫌なのだ。
私でなくても、別れた男に『俺の女』扱いされて気を悪くするというのは普通のことだと思うけど。

私にとって、彼等は『子どもたちの父親であること以外まったく存在価値がない』という認識しかできないのもどうなのそれとは思うけど、なんというかもうこの性分は変えられそうもないのでしょうがない。
どんなに彼等が不誠実なことを私に対してしたとしても、子どもを授けてくれたという紛れもない事実があるのに、私はふたりの元夫を最後まで『特別な関係の異性』として認識はできなかった。

私にとって他者との関係は、『自分』と『自分以外の人間』というふたつのカテゴリしかない。自分で産んだ子どもも、20年前から付き合いのある友人も、数年前からの知り合いも、つい最近関係を持った人も、全て同じ『自分以外の人間』でしかない。

でも、最近『自分以外の人間』の中に、『繋がりを途切れさせたくない人』というサブカテゴリができたことに驚き、密かに喜んでいる。



嗚咽

2008年08月30日

Posted by 茶トラン at 01:54Comments(0)TrackBack(0)暴走する妄想
ひとの訃報をネタにして一気に書いてきて、なんだか涙が流れてきた。

これは、単なる眼精疲労からくる生理現象なんだろうか?


「嗚咽」という言葉の意味がわからなかった。

涙というものは、感情というものは、脳みそでコントロールできるものだとずっと思っていたし、そうしてきた。
できない人間の方がおかしいのだとまじめに思っていた・・・。

ここ数日、彼の訃報を聞いてから、薬を倍飲まなきゃ眠れなくて、飲んでも眠れなくて深夜に追加して飲んだら朝起きれなくて、朝食もお弁当も作れず、生ゴミ出し忘れたり最低な日々を送ってた。

今日も子供達が寝るまで、出来る限り平静を装っていた。
個人の感情を表現することが「悪」だという思いが抜けないのか、泣けなかった。
泣かないと思っていたし、泣いてもしょうがない、とも思っていたのだが・・・


私は「泣く事も許されている人間」だと、うれしく思い知った。

涙は、頭で考えていることとは別に、流れてくるものだと知った。

自分の人生に関った人間を思い出して胸を抱き、泣くことなどもあるのだということを思い知った。


私は、人間だったんだ

私は、痛みも悲しみも感じないのではなく、感じたくない人間だったんだ

私は・・・・・・





そうしなければ生きていけない人間だったんだ




涙が止まらない
泣ける自分に戸惑い苦しい
目をつぶってきた事を思い出して切ない



今日はそんな夜



悲報Ⅱ

2008年08月30日

Posted by 茶トラン at 01:52Comments(0)TrackBack(0)暴走する妄想
深夜の喫茶店に呼び出され、何を話したのか、全ては覚えていない。

ただでさえ出来の悪い頭で、10年近くも前のことだしなぁ。

「ちゃんとメシ食うてるか?何が好きなんや?」

とか

「今自分が生きてる、意味を考えたことあるか?」

とか

「お前自身が楽しい、気持ちええて思えること、ちゃんとしてるか?」

とか、ありがちなことを言われたんだと思う。


私は、いい年して、こんな時間に酒も呑ませんとなんやねん!と不貞腐れて話を聴いていた。
というより、多分聴くふりをしていた。

どんなに稼ごうと、どんなにたくさんの男をかしずかせようと、なにひとつ自分自身が満足するには至らない、なんて欲深な、なんて心根の卑しい女なんだろうと思い始め、なんの脈絡もなく、パソコン関係の資格を取り捲っていたころだ。

「ここまで徹底して、自分を追い詰めて憎む女、わし初めて見たわ」

(なんやそれ・・・?被害妄想女ってことか?)

「お前、育った家庭環境最悪やろ?」

くすっとあざ笑うように(そう見えた)言われた。

(なんやねん!それがなんやっちゅーねん!)

「なんでお前の事観察してんのや!気持ち悪ーー!とか思ってるやろ?わしお前の事好きやねん。一目惚れして、一緒に呑むようになって二度惚れ、三度惚れしてん。」

(はぁ~次はそのテかい!まわりくどいな!なんやねん!)

「お前の事観察すればするほど痛いんや。なんでこいつはこんな痛みを抱えて、泣き叫ぶ事もせずに笑ってるんやろなぁって思うと、胸のここんとこがぎゅーーーっと痛なるねん。ええ年やし、告白なんぞもできず今に至るっちゅーわけや(笑)」

(ハァ・・・・次はどんなテ使ってくるにゃろ?)

「そこでな、自分の気持ち押し付けるだけやったらただのキモイおっさんになってしまうからな、わしが勝手にお前のこと好きでおってもええかどうか許可が欲しいんや」

(あたしにどうしろと・・・?)

「なんもせんでええねん。今までどおりハゲ頭ベチベチどついて、ガハハてわろて、時々一緒に酒呑んでくれたらええねん」

・・・・・・・・・。

餓鬼だった私は、自分の身体を求める男(セックス奴隷としての機能の善し悪しで判断されること)しか知らないので、私みたいな女を口説くのにこういう手段もあるんだ~へぇぇぇぇええ~、と惚れ惚れしてしまったのだ。

「ただおってくれるだけでええねん」

自分の存在自体を生まれて初めて許された、と感じた瞬間だった。
上手くいえないけれど、ずっと自分が感じていた「生き辛さ」というのは、「自分がこの世に存在していることが許されないことなのでは」ということに尽きると思うのだ。
育ちの悪さというのは、どんなに覆い隠しても、はみ出してしまうものである。
逆に、育ちの良い人間というのは、何も特別な事をしなくとも、「ただ存在するだけで多くの人が惹かれる」というものなのだ。結局、水商売でも成功している人は、生来の育ちの良さ=頭の良さ(機転が利く、思いやりがあるなど、学習しなくても自然に身についている)がにじみ出ている人なのだ。そういう意味では、育ちの良い人間は、生まれてきた事自体を罪悪に感じることなど無く、いわば人生の勝ち組としてすくすく育っていくのだなぁ~としみじみ思う。(←またこの卑屈さが育ちの悪さを表している(笑))

だから、私は、自分の存在を許してもらえる為にはなんでもした。
親に媚び、親から離れた後は男に媚び、どうにかして、私が生きている事に許しを乞うように、なんでもした。そのままのお前でいい、なんていってくれる人は、うわべではたくさんいたが、少し親しくなると、私の背負ってきたものを一緒に背負う義理はないと、さっさと逃げ出す人間ばかりだった。
よくも悪くも、人は「人並み」でないものは受け入れられないのだ、ということを学習し、自分には最も向いていない厳しい「接客業」という職業を選んだことを後悔しながらも、それ以外生きる糧を得る手段を持たない自分だからしょうがないと、生きてきたのだ。


自分の生い立ちのかけらをボソリと話すと、「かわいそうになぁ」と言って、下着の中に手を突っ込む男たち。
帰ったら私のかばんに札がねじこまれていることがよくあったが、それが世間並みの「身のほどこし」なのだと思っていた。
そのことに疑問を感じたこともない。

水商売をしている間ずっと

「施しをしたい人間の優越感を私が満たしてやってるんや!感謝されて当たり前や!」

という歪んだ優越感を持っていたと思う。

「かわいそうな人間には施しを」

昭和に生まれ育った男達は、そういう教育を受けてきたんだろう。
昭和に生まれ育った私もそう思ってた。

この世の中には「施しを受ける人間」と「施しを与える人間」の2種類しかいないんだと、「対等」な人間関係などあり得ないと自分の経験上思っていた。

自分は一生「施しを受ける側の人間であって、与える側にはなりえない」と思っていた。今でもそう思う。正体の解らない飢餓感にもだえ苦しむ様は「まさしく餓鬼」そのものだ。

そんな人間が、何も奉仕をしなくても「与えられる側」の立場になってしまったのである。どうしていいのか解らず、戸惑うばかりだった。

「ありのままの自分を受け入れて貰う」

ことは、通常は幼少期に無意識のまま経験を積み、それが後の人格形成にかかわってくるものだ。なので、私がまったく自覚できなかった「人間としての尊厳」などというものは、無意識のうちに与えられ刷り込まれた養育環境によるものであって、決して世間が言う「母子家庭だから(片親だから)」などというものに起因していることではなかったのだと今は判る。

私は、「そのままの自分で生きていて良い許可」を貰ってしまった。


悲報

2008年08月30日

Posted by 茶トラン at 01:51Comments(0)TrackBack(0)暴走する妄想
先週深夜、唐突にメールで知人の訃報を聞いた。
その知人とは、私が今の土地に引っ越して以来連絡を取ってなかったのだけど、あまりに驚いた為、メールをくれた友人に深夜にもかかわらず電話をかけてしまった。
知らせてくれた友人Iさんとも、数年ぶりに話した。
Iさんとは、同じ店で2年くらい働いていた仕事仲間だった。
店で先輩だったIさんとはなんとなく仲良くなり、亡くなった知人は、本職はお寺の住職で、夜はバーやクラブでギター片手に弾き語りをしているちょっと変わった人だった。
店のお客さんや女の子の誕生日には、必ず歌を歌って盛り上げてくれた。

懐かしい生まれ故郷の方言を久しぶりに聞き、いっそう辛くなった。

「茶トランがいなくなってからもね、『あいつのことやし今頃ガハハて笑いながら辛い事があっても涙も見せんと、弱音も吐かずに頑張っとるんやろなぁ・・たまには弱音吐いてみせるくらいしてもええのになぁ・・』っていつも言ってたよ」

そうやったの・・・深夜Iさんと2人でしんみりしてしまった。
Iさんは電話の向こうでも、しくしくと泣いていた。
私の声を久しぶりに聞いたら、楽しかった日々を思い出してしまうと・・・
私よりずっと長く付き合いがあり、最後まで立ち上がろうと病気と闘う姿を見てきたのだから当然だろうな、と思った。

故郷へ帰れば、知人にもいつでも会えると、のんきに考えていた。
まだ40代、あまりにも若すぎる死・・・
私が今の土地へ来てから間もなくガンになり、最後の一年は入退院を繰り返し、もともと小柄だった体の大きさが半分になるくらい痩せてしまって、歌う声もか細くなり、大好きなビールも呑めなくなり、それでも歌う事をやめなかったそうだ。
最期の時、急に容態が悪くなり緊急入院して数日で逝ってしまったという。

その人とは、なんとなくよく一緒に酒を呑んだというだけで、それほど深い付き合いをしたわけでもないし、もちろん男女の関係でもなかったし、お互いの生まれ育ちなどについて話したことなど一切なかった。だけど、生意気で協調性がないと店のオーナーによく叱られているときに

「これはこいつの個性やわ。何一つ間違った事は言うてへんもん。何でもハイハイ言う女ばっかりやったらおもろないやんか。ま、確かに水商売には向いてへんわな(笑)」

とさり気なくフォローしてくれていたことを覚えている。
御客さんにも女の子にもなぜか好かれてたなぁ・・。

私は水商売をしていた頃、とても気難しかったり、偏屈なお客さんを手なずけるのが上手いと言われるホステスだった。ただ、私自身も万人ウケするキャラではなく、偏屈でアクの強い人間だったから、同類ばかりがそばに偏ってきただけだろうと思うけど・・・。

「どんなホステスもお客さんも皆そのままの自分を受け入れたらええねん。万人に好かれる必要なんかあらへんねん。そやないと全てのことを許せんようになってしまうで。そうなったら人間としての幅がせまくなるだけや、人間として『許す』いうことができへんかったら、ホステスとしても企業人としても人間的魅力はなくなるわな。ほしたら誰もついてこんようになってしまうわなぁ。まずそのままの自分であることを許し、受け入れることから始まるんや。もっとゆる~てええねんで。」

関西の大きな寺の息子として生まれ、思春期には反抗して家出して、様々な職業を渡り歩き、30代後半になってから出家したというその人はいつもそう言っていた。その言葉を、ちゃんと聞き取れていなかったなぁ・・と今さらながらに思う。とても大切な事を言ってくれてたのに、私は、世の中は全て敵だと身構えている臆病者だったので、聴く力がなかったのだ。
臆病ものは人の言う事を信じられない。何か裏があると身構えてしまう。身構えていなければ生きていけない状況で生きてきたからだと今なら判るが、当時の私は、私を思ってくれている人間もそうでない人間も全て同じレベルでしか接する事ができなかったので、そんな自分が何よりも許せず好きになれず、どうにもできないでいた。

その店に勤めるようになって一年程が過ぎ、しょっちゅう一緒に酒を呑んで騒ぐようになって私の幼い警戒心も解けはじめたころ、

「お前なんでそんなに身構えとんねん?そんなに男がキライか?そんなに人間が怖いんか?嫌いか?」

なんのことない話題を、女同士できゃあきゃあ言っているとき唐突に言われた。
私は、友人が経営する店なのでその場の雰囲気を壊したくなくて酔った振りして誤魔化した。

「誤魔化すなや!なんでそんなに人間が嫌いなんや!これ以上逃げんと向き合えや!自分と!」

私は耐えられなくて自分のグラスの水割りをぶっかけた。

これ以上私の中に入ってこないで!
私を見ないで!
壊れてしまう!
アカン!
全てを受け入れられないなら入らないで!


叫びは声にならず、喉の奥に詰まったままだった。
逃げるしかできない。
かばんを掴んで外に飛び出したら、友人が追いかけてきたので、謝って帰らせてもらった。
家についたころを見計らったように電話が鳴った。

「お前はなぁ、いつも肝心なトコで逃げよるんや。最大の弱さや。その弱さに真正面から目を向けられんのが最大の欠点や。お前が男を喜ばすのに長けてんのは、男なんか人間と思ってへんからやろな?感情がないねん、やから、淡々とこなせるねん。違うか?」

足元から体中の体液が駆け上り、うめき声を上げそうになった瞬間。



数日経ち、店が終わってから喫茶店に呼び出された。
怖かったけど、迷ったけど、いった。


※この文章はほぼフィクションです※










泣かない女

2008年08月28日

お前は泣かない女だもんな

ほんとに可愛げのない女だよなぁ

やっぱり泣かないんだ?

こういう類の言葉を、物心ついたころから何千万回聞いただろう?
数えていたらギネスに載るんじゃないか?ってくらい言われてると思う。
マジで聞き飽きた。

泣いてどうにかなるの?
泣いたら今の状況を変えられるの?
何か解決するの?
泣かない女にはなにしてもいいって思うその脳みそがどうかと思うけど?
それって人としてどうなのよ、ねぇ?

この言葉を吐くような男ってのは、だいたい自分にだけ都合の良い脳内ファンタジーを持っていることが多い。断言する。

私をなんとかぎゃふんと言わせたくて、ヒーヒー泣かせて平伏す姿が見たくて、色んな男から今思うと随分失礼極まりないことをされてきたっけ。思い出したら一冊本が書ける位(笑)なんちって。

涙ポロポロ流して、そんな姑息な手段で人の心を思い通りにしたいとは思わない。男に可愛がられることだけに命かけてるような女と同じ土俵に上がるつもりはさらさらないから、そんな女とは戦う気持ちすら湧かない。

そんな女と比べられる屈辱を味わうくらいなら、

泣かない女で結構。
誰よりも可愛げのない女で結構。
男の都合のいい脳内ファンタジーに付き合うほどお人よしじゃねんだよ。悪いけど。


私の人生は私のためにあるの。
私の気持ちも、私の身体の髪の毛の一本すらも、私のものなんだよ。
勘違いしないで欲しい。




と、たまにはこれくらい強気に出てみたいと思う小心者なのでした(笑)






発見!

2008年08月25日

Posted by 茶トラン at 21:36Comments(5)TrackBack(0)子どもたち
長女は、工業高校のデザイン系クラスにいる。

中学生の頃いじめにあってひきこもっていた時期があるため、同級生よりひとつ年上だ。




長女は絵が上手い。

これは、今回地元に帰省したときに描いた友人の子どものデッサン。

友人のブログで見つけたww


お年玉やお小遣いは、全て夏と年末のオタク大イベントのために貯めている。
ふだんは、学校と家の往復だけで、休日に出かけることすらない。
1日じゅう絵や小説や詩を描いていれば幸せな子だ。


長女は、学校の推薦で、県外の美術系大学への進学が内定した。
奨学金も特Aのものが支給されることが決まった。
足りない分はバイトして補うしかない。

年が明けたら、彼女は、遠い県外へ旅立つ。


4歳までおっぱい星人だったあの子。

託児所に預けるときは、保母さんが3人がかりで押さえつけていた娘。

喘息とアトピーで、数十回入院を繰り返した長女。

わたしに向かって「死ね!クソババア!」と言って何度も殴りかかった暴れん坊将軍(笑)



自分の足で、

自分の脳みそ使って、

歩いていくときが、とうとうきたんだなぁ。


歩けないときは立ち止まってうずくまっていいんだよ。

急いで大人にならなくてもいいからね。

傷ついても、くじけても、どんなにみっともなくても、生きてさえいればそれでオッケー!


胸に抱いていられたころが、

私の腕にすがりついていたころが、今は少しだけ懐かしい。